戦闘国家 ロシア、イスラエルはなぜ戦い続けるのか

戦闘国家 ロシア、イスラエルはなぜ戦い続けるのか

【タイトル】

『戦闘国家 ロシア、イスラエルはなぜ戦い続けるのか』小泉 悠,小谷 賢,PHP研究所,2025

【テーマ】

ロシア・イスラエル両国に共通する「滅びる前に滅ぼせ」という苛烈な生存戦略をインテリジェンスの観点から解明し、諜報後進国である日本が取るべき安全保障のあり方を提示すること

【なぜこの本を読んだか】

国家情報会議設置法の成立前後、SNSでは反対の声が高まり、人権侵害への懸念や現政権への抵抗感、賛成派への非難がハッシュタグとともに多く流れてきた。わたし自身はスパイ防止法の制定には賛成の立場だけど、同時に国民が安心して暮らせるための周辺法の整備が不可欠だとも思っている。ただ、そうした考えを議論したり深めたりする場が見当たらず、自分自身の思考を整理する時間が必要だと感じ、以前購入して読みかけていた本書を改めて手に取った。

【学んだこと】

  • 「滅びる前に滅ぼせ」という生存本能: ホロコーストの記憶やロシアの国土防衛強迫観念など、両国には歴史的悲劇に根ざした先制攻撃を「自衛」とみなす苛烈な信条がある
  • インテリジェンスと政権の一体化: KGB出身のプーチン、国家中枢に食い込むモサド人脈など、諜報機関出身者が権力の中心を占め、情報が戦争遂行と直結している
  • ロシア独自の国境観: ロシア人にとって国境は固定されたものではなく「動くもの」であり、自国を守るための緩衝地帯を常に外側へ広げようとする論理がある
  • 「自分たちの力しか信じない」イスラエル: 徹底した自衛意識と敵への根深い猜疑心が、殲滅するまで戦い続ける姿勢の根源にある
  • 日本の安全保障を左右する米国: 長年の米国依存によって組織的な諜報を怠ってきた日本は「諜報後進国」であり、自前の情報収集・分析力が著しく欠けている
  • スパイを「交渉カード」として使う論理: スパイ防止法が整備されれば、拘束した外国人スパイを交渉材料に、海外で捕らわれた日本人を取り戻す「スパイ交換」が可能になる。現在の日本には外国人スパイを取り締まる法律そのものがない
  • 情報は集められている、問題は「使う側」: 日本のインテリジェンス機関はそれなりに情報を収集できているが、政治の側がその情報を活用し切れていない。そもそも情報を政策に生かすという発想が根付いていないことが問題の本質だ
  • 情報リテラシーは国民レベルの問題: 政治が情報をうまく使えるようになるためには、まず国民自身が情報を批判的に読み解く力を身につけなければならない。政治の質は、社会の情報リテラシーの水準と切り離せない

【視点の変化】

  • スパイ交換という発想の盲点: たとえば日本人が海外でスパイ容疑をかけられ拘束された場合、選択肢はその国の法で裁かれるか、スパイ交換で取り戻してもらうかの二つしかない。そして交換が成立するには、こちら側にも「渡せるスパイ」がいなければならない。これにはスパイ防止法の整備が前提になるという発想がなかった
  • インテリジェンスの土台は国民にある: インテリジェンス機関を整備して人材を確保し、適切に運営することは当然必要だが、それと同じくらい国民ひとりひとりがさまざまな情報に実際に触れ、判断を重ねることで感覚を養っていくことが重要だと気づいた

【感想】

スパイというのは映画や小説の世界の話で、日常でその存在を意識したことは一度もなかった。しかし『認知戦』や『現代戦争論』などを読むうちに、徐々に感覚が変わっていった。最初は「いやいや、まさか」という気持ちがあったが、少し意識して世の中を見てみると、関連するニュースや記事が自然と目に入るようになり、スパイをはじめとする認知戦はフィクションでも遠い国の話でもなく、身近に迫った問題なのだと考えるようになった。

「諜報活動」「インテリジェンス」「内調」といった言葉には、陰謀めいた胡散臭さや戦時中を想起させる怖さがある。わたし自身、すぐには受け入れがたかったし、正直なところ本に書かれているような現実を信じたくない気持ちもあった。そんなとき、ふと思い出したのがロシアのウクライナ侵攻やアメリカのイラン攻撃を目にしたときの違和感だった。なんていうんだろうな、自分が思い描く「戦争らしさ」みたいなものが見えにくい気がしたというか。イメージが違ったのだ。特に、ウクライナのゼレンスキー大統領が戦時中もSNSやメディアで発信し続けていることがとても不思議だったんだけど、今ならそれも情報戦の一部だったのだと理解できる。そこでようやく、ああそうか、戦争のやり方が大きく変わったんだなと納得できた。そして、認知線の脅威やインテリジェンスの重要性についても実感するようになった。

国内では先日「国家情報会議設置法」が成立し、国家情報会議の新設と、事務局として国家情報局が創設されることが決まった。外国が仕掛けてくる認知戦に対応する第一歩となる一方で、プライバシーの侵害や監視社会への懸念、第三者機関による監視のあり方についてはこれから議論を重ね、整備されなければならない問題だ。政府には、国民が何に不安を感じ、何を懸念しているのかをきちんと聞き取り、賛成・反対を超えてみんながおおむね納得できるような形を作ってほしい。誰が政権を担っても、国民が安心して暮らせる日本であること。理想論かもしれないが、それこそが本当の意味で強い国なのではないだろうか。

また、本書を読んで、制度が整うことはもちろん大切だが、国民一人ひとりが情報に触れ、判断を重ねることで感覚を養っていくことも、同じくらい必要なのだと改めて感じた。これからも自分にできる範囲で取り組んでいきたいと思う。