【タイトル】
『ルポ 被爆二世』小山美砂,集英社,2026
【テーマ】
被爆者の子どもである「被爆二世」が戦後をどう生きてきたかに焦点を当て、遺伝的影響や健康問題、差別への苦しみなど、これまで光が当てられてこなかった当事者の証言を通して、原爆被害の本質と核の時代の私たちのあり方を問う
【なぜこの本を読んだか】
書店で見かけて手に取った。集英社新書といえば、今読んでいる『証言・沖縄スパイ史』や、いつか読んでみたい『証言・北朝鮮帰国者』など、気になるノンフィクションのタイトルが多い。核抑止や核保有の是非について考えるなら、まず立ち返るべきはヒロシマとナガサキだろうと思い、読んでみることにした。
【学んだこと】
- 被爆者の子どもにおける放射線の遺伝的影響は、実証することも、絶対にないと断定することも科学的には不可能であり、国による治療や医療保障が用意されない限り当事者の根源的な不安は解消されない
- ABCC(原爆傷害調査委員会)による初期の乳幼児調査は当事者の人権や感情を無視したデータ収集にとどまり、その後の国の健康診断も医療保障を伴わない単なる調査研究にすぎなかった。この不十分な姿勢が、国や研究機関に対する被爆二世の強い不信感を植え付けた
- 結婚や就職での差別を恐れるあまり、出自を隠して静観することを強いる「寝た子を起こすな」という社会的同調圧力が長年主流となったが、この配慮を装った沈黙の強要こそが被爆二世の苦痛を見えなくさせ、孤立を長期化させた
- 1976年の東京都議会での「被爆者の子孫を絶滅させるべき」という差別発言は、優生保護法や優生思想を背景とした生存の否定だった。被爆二世たちは、差別の原因が自分たちの遺伝子にあるのではなく、障害や病気を持つ者を排除しようとする仕組みそのものにあると看破して抗い続けた
- 社会やメディアが当事者に平和の語り部としての役割を期待する裏で重圧や義務感による葛藤が存在するなか、被爆二世たちは同情されるべき存在として生きることを拒み、自ら進んで被爆二世であると名乗ることで主体的に現実を打破しようとしてきた
【視点の変化】
- 本書を読んで「被爆二世」と呼ばれる人たちの存在をはじめてはっきりと意識するようになった
- 核抑止の観点から日本も核兵器を持つべきだという考え方があり、これまでは「それも一つの立場」とは思いつつ、感情としては反対だった。しかし本書を読んで、被爆当事者だけでなく二世、三世と時代を超えて苦しみが残っていくという現実を突きつけられ、絶対に反対しなければならないという気持ちに変わった
【感想】
これまでは、原爆について考えるとき、被害を受けた被爆者にしか目が向いていなかった。本書を読むまで、被爆二世という存在、そしてその人たちが背負ってきた不安や差別、沈黙を強いられてきた歴史を、わたしはほとんど知らなかった。
なかでも重く残ったのは、苦しみが一代で終わるものではないということだ。放射線の遺伝的影響は科学的に証明も否定もできないという宙づりの状態のまま、被爆二世たちは健康への不安を抱え続け、結婚や就職の場面で差別を恐れ、出自を語ることさえ許されない空気のなかで生きてきた。寝た子を起こすなという人、自分は健康だという人、さまざまな人がいるなかで、自ら名乗り出て声を上げた人もいた。そして、自分の中の「差別する私」と向き合いながら各地へ赴いて人々の話を聞き、ものすごい量の資料にあたり、悩み苦しみながら1冊の本にまとめた人がいた。
その人たちを前に、わたしがここに並べる言葉はあまりにも軽い。知らないことが多すぎて、何をどうしていけばいいのかわからず途方に暮れる。でも多分、わからなさや不安を抱えたまま、がんばって言葉にしていかなきゃいけないんだと思う。確かなことから、ひとつひとつ。戦争はだめだ。核兵器には絶対に反対だ。


